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武周 (三国) : ミニ英和和英辞書
武周 (三国)[ぶ しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)
: [み]
  1. (num) three 
三国 : [さんごく, みくに]
 【名詞】 1. three countries 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

武周 (三国) : ウィキペディア日本語版
武周 (三国)[ぶ しゅう]
武 周(ぶ しゅう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。に仕えた。伯南豫州沛国竹邑県の人。子は武陔(字は元夏)・武韶(字は叔夏)・武茂(字は季夏)。孫は武輔。『三国志』魏志の「胡質伝」が引く『晋書』(著者は虞預)などに記述がある。
==生涯==
下邳県令であった時に臧霸から尊敬された。臧霸は自ら武周の宿舎を訪れた事もあったという(「臧霸伝」)。
後、揚州の前線合肥を守る張遼の護軍になったが、ある時に張遼と仲違いを起こした。張遼は武周の代わりとして、温恢の下で治中を務めていた胡質を貰い受けたいと依頼した。しかし胡質は「武周が正しい士であることを、将軍(張遼)は口を極めて称賛していました。しかし今は僅かな恨みで仲違いしております」と言い、断った。これに悟るところがあった張遼は、再び武周と関係を改善した(「胡質伝」)。
後に武周は、光禄大夫まで昇進した(「胡質伝」が引く虞預『晋書』)。
小説『三国志演義』には登場しない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武周 (三国)」の詳細全文を読む




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